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2019年 07月 02日 火曜日

全てにわたって良いフォーラムで、成功したと… 盛山代議士と握手したのは、くらしの防災フォーラムでのこと。6月29日土曜の18:30~20:00、東灘区民センターうはらホール(5階大ホール)で行われたこのフォーラムには、500人を超える人々が来て下さった。

去年の7月5~7日の2日間に降った雨量は、466ミリだった。昭和13年の7月3~5日の2日間で降った雨量の461ミリと上回っているのに、昭和13年には大水害が起きた。その後、昭和36年と昭和42年にも、水害が続いた。

しかし、去年の7月は死者も出さず、住吉川や石屋川、都賀川も無事だった。これは、昭和13年以降、国と市と県が協力しあって砂防ダムを作り続け、六甲山の強靭化をはかった成果であり、実に、100年かかっている。まさに、行政の力である。議会人や市民は、ともすればすぐに行政を批判するが、こうした地味な努力には、感謝するべきだと思う。

それを盛山正仁代議士に申し上げると、同感されて、シンポジウムを催して市民に訴えようという話になった。さらに、我々だけでなく、国・市・県が主催者となり、党派を超えてやる事になり、大きく進んでいった。

シンポジウムには、市長と副知事が出席。講話に、国土交通省近畿地方整備局の黒川純一局長と、立命館大学理工学部環境都市工学科の里深好文教授が講演に立つ運びとなり、大掛りとなった。加えて、東灘区市会議員団もバックアップを決めた。そこで、沢山の人々の参加を求めようと、私と浦上・上畠の三議員に東灘区副区長で、半日かけて参加をお願いして廻った。

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当日は市長挨拶に始まり、当番幹事の浦上議員が語り、防災議員連盟創立提案を上畠議員が行った。私も、語り部として発表。「24年前の大震災は天災でもあるが、人災でもある。社会的弱者を守れなかった2~3時間のあいだ、私たちは無政府状況におかれた」など、率直な思いを語った。

国交省の黒川純一局長のお話しも、そのご尽力が沁みた。そして、私が当日最も感銘を受けたのが、里深好文先生のお話しだ。ご説明の中で「砂防ダムが、いかに役立っているか。今後、砂防工事について、市民の皆様にあっては、反対運動をされるにしても、十分な理解を基にしてあげて下さい」と訴えられたのである。

その言には正直、私自身も覚えがあって、ドキッとした。そうした結果、住吉川上流の砂防ダムができたのだった。スプロール化した神戸と、脆い地質の六甲山。でも同時に、その六甲「さん」の眺めは、市民には愛する郷土そのもの。人々の命と資産を守り、そんな郷土を皆で、より良くして行きたいものである。