彼は、前回の選挙では僅差で落選した。それからの4年間、毎朝駅に立って頑張った。それでも、明るさを失ってはいなかった。
そんな彼が…6月7日の朝、娘さんから電話。その訃報に、絶句した。親しかった崎元裕治、元神戸市会副議長が突然死されたとの知らせだった。取り敢えず、大変親しかった安井には知らせなくてはと、お知らせ下さった。「お通夜と葬儀の日程は、決まり次第お知らせします」との事だった。
24年の付き合いだった崎元議員とは、どういうわけだか気が合い、よく、二人でジョーク合戦をした。かつては議員の同好会「つり部会」があって、よく釣りに出かけた。運転は、いつも彼だった。韓国へも行ったし、個人的にも相談された。娘さんのこと等、いろいろあった。
本会議場で、神戸マラソンを提案し、実現させたのは、彼だ。その第一回神戸マラソンは私の議長時代だっただけに、彼に感謝し、彼もそれを、秘めたる自慢にしていた。
せめて、市議任期満了の6月10日まで…あと4日生きていれば、議員で亡くなられていたのに…なんという運命だろうか。あまりにも気の毒で、言葉につまる。
9日のお通夜には、彼の人柄で、本当に多くの人々が集まった。私は、仲良くしていた足立ボランティアと共に参列した。無宗教のお通夜で、音楽一家らしく、ピアノ演奏が流れていた。御長男が挨拶の中で「本人は、さぞかし無念だったと思う」と語られたが、それは、一同もそう思った一瞬だった。
帰路、足立が私に、ある県会議員のマナーの悪さが目についたと話してくれた。私も、同感だった。本当にご冥福を祈ってお越しになられているのか。崎元先生が見てるよ、と。
久々の議長席で
全体議員総会で黙祷を捧げた