▲現理事長市橋先生と
一旦事務所に帰った後、「社会福祉法人神戸老人ホーム百十周年記念式典」に出席。JR住吉駅北側にある、東灘区鴨子ヶ原に新設した「ケアハウスゆうあい」の開設も兼ねて行われた、養護老人ホーム住吉苑が中心の老人ホームの式典。同福祉法人の市橋理事長は、私とは古く、一期生から育てて頂いた御恩のある方だ。
▲鏡開き
時代はバブルがはじけ、開発業者の経営が困難な時代に入ったころだ。一部の理事の画策で住吉苑を三木に移転して、跡地を売却しようとする企みが進行していた。疑問を感じた伊集院さんが私にご相談され、企てが判明したため、私の友人の田中幹夫弁護士と相談の上で対抗策を練った。田中弁護士はその方面では著名な福祉弁護士で、直ちにその当時、人望があった伊賀さんにお願いし、労働組合を結成し対抗。入所中のご老人がたが住吉駅に立たれ、移転反対の署名活動を行なわれた。
▲乾杯の音頭の任を果たす
今から142年前 ─ それは、愛媛県松山市の郊外で生まれた寺島信恵が、32歳で3人のご老人をお世話する事から始まった。それが、神戸友愛養老院になり、日本人が設立した最古の養老院となったのである。
感心するのは、その当時に福祉に携わる心が育くまれた事だ。闘争していた当時、木造の粗末な住吉苑に私は入り浸っていた。ふと気がつくと中庭に白と黒の立派な蔵があった。私が「この住吉苑にも豊かな時代があったのですね」とお尋ねすると、「違うのです。それは、火災や水害の時、一時的に老人を避難させる避難蔵なんです」という返事が返ってきた。その当時、そこまでお年寄りの保護を考えられていた、その優しさに心を打たれた。その心が、血が、その当時の職員には流れていたのだ。
まさに、日本の福祉の原点はこの住吉苑にあると思った。百十年の歴史は重く、困難の連続であったと思う。二度の戦争・水害・地震・不況・病気・差別…それでもなお、生きてきた。これこそ東灘の誇りであり、光であると思う。
寺島伝恵という女性は、決して幸せな人生を送られたわけではない。その人が何故、他の人を愛せる人間にご成長なされたのか。それは、彼女は人様から受けたわずかな優しさと温もりを、彼女の魂にされたからではないか。私なら人を恨み、世を恨み、すべてを他人のせいにしていたかも知れない。
彼女を支えたのは、キリスト教。私は、頂いた記念誌を読み漁った。その中には、キリスト教に基づいた老人ホームを造ったとある。寺島信恵を、キリスト教が支えたのだ。物を作り、事業を成功させる為の苦労と試練に耐え抜くのは、個人。その個人の心を支えるのは、人それぞれ。ある人はキリスト教、ある人は神道、ある人は仏教、ある人は自然、ある人は宇宙、ある人は他人の生き方…そして、彼女の場合はキリスト教だった。
この誇るべき社会福祉法人神戸老人ホームは、百十年も歩んできた。寺島信恵の心をつなぎながら、これからは地域によって育て守られるであろう。今は何よりも、日本の福祉の出発点がここ神戸である事が、私はうれしい。