御承知の方もおありだろうが、御影北小学校が校舎改築工事で運動会ができないため、南の御影小学校を借りての運動会が、好天に恵まれた6月1日に行われた。
ここで、長谷川秀治校長が気配りのある挨拶をされた。観客のマナーアップを呼び掛けられたのだが、子供たちへの応援で、応援しているのか応援をして目立とうとしているのか分からないような人が、必ずいる。それは、阪神タイガースの応援で、他の人を笑わすのを楽しみにしている名物おじさんのような存在だ。球場はそれで良いが、ここは教育の場と心得て欲しい。校長も、日頃の練習の成果を見て欲しいと訴えておられた。私は、心からの拍手で盛り上げに参加した。
一夜が明けると、91年間平野のシンボルであり、平野と共にあった御影は平野のだんじりが、いよいよ芦屋へ嫁入りする日がやってきた。6月2日朝8時、だんじり小屋には、ある人は感謝を、ある人は若き日のことを、ある人は当時の仲間の事をなど、それぞれの思いを持った方々が集った。
挨拶に立った保元自治会長が、言葉を抑えながら「91年間我々を見守ってくれました。しかし、今から弓弦羽神社で魂を抜いて全てを無くし、真っ白にして芦屋の濱野町にお渡しします。その前に最後の
だんじりは2時間半かけてJR甲南山手駅の北ロータリーへ到着し、そこで待ち受けておられた芦屋神社の千葉翔大宮司と濱野町の方々へ渡された。
同行された弓弦羽神社の澤田政泰宮司が、ガッチリと握手。両宮司は旧知の仲でもあったようで、楽しんでおられた。
私は、「神戸市は、『人は人によって人となる』としていますが、加えて、東灘区は『だんじりで』人になるのです」とスピーチした。
かくて、平野のだんじりは91年の役目を果たし終えて、新しい濱野町の家族となった。昔から、駅長と郵便局長には地域の仲間のような親しみがあったものだが、最後にJR甲南山手駅にお礼に行くと、管轄駅の根岸章好住吉駅長が「よかったですね」と声をかけて下さったのだった。
だんじりは単なる木造のモノではなく、人々の心が重なった、思いがこもった目に見えない心の宝であり、人間の情と愛と、徳が詰まっているのだと、今、改めてはっきり分かる。多くの人々を育ててきたあのだんじりも、これからも又、芦屋で人々の多くの夢と希望を育てることだろう。