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2019年 05月 28日 火曜日

白い雪の舞う昭和39年2月18日、大阪国際空港(伊丹)を飛び立った日東航空おやしお号、グラマンG-73ラード水陸両用機JA5067が尼崎の上空で上昇中に、六甲山に墜落。同機のスチュワーデスだった京都出身の麻畠美代子さん(準ミス日本)は… 失神状態の乗客7人を次々と機外に出し、最後の一人の所に駆け付けた時、タンクが爆発して火災に包まれ、お母さんと叫びながら殉死された。

この、日東航空おやしお号墜落事故とみよし観音については前にも書いたのだが、彼女の強い責任感と、が徳島のホタルを大阪から東京へはこんでいて「ホタルのお姉さん」と呼ばれていた事など、その純情な人柄と行いから、深く人々の感動を呼んでいる。子供たちが作った「ホタル天使」と「六甲山のあの上に」の歌でさらに感動が伝わり、大阪と徳島が見える六甲山上に「みよし観音像」を健立する運動へと発展し、没後6年目の1970年の夏に実現したのだった。

その土地が住吉学園の所有地だったのだが、その立派な行動に感動して、住吉学園は、地代を取らないのみならず、逆に会に協力し、毎年出席されている。

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そんなみよし観音の50回大祭になるのでと住吉学園からお声掛けを頂いて、金谷東灘区長と二人、朝9時15分に住吉学園に集まって、六甲山上のハイキングコースに建つみよし観音像に向かった。会場には、約50人程の関係者が集い、10名の僧侶が勤められた立派な式典で、私は初めて列席したが、感動した。

徳島のホタルの送り主は、児童養護施設の親のない子供たち。受け取っていたのは、東京の、同様の児童養護施設で、それらの施設の園長も来られていた。麻畠美代子さんの兄、正資さんも来られていたが、長い伝統を継ぐ西陣織りの老舗を担われている、見るからに明るくはっきりされた方で、美代子さんの人柄をしのばせて下さる。とても優しい方で、記念撮影の時、隣の私に段から滑らないよう何度もご注意下さった。

JAL大阪総務部の甲斐田保典部長も参列されており、そのスピーチで「この度初めて、この話を知りました。安全を心得る私たちにとって、貴重な話です」と語られた。

だが、このみよし観音、50年を経て、周りの木が成長し茂ってしまい、大阪も徳島も見えなくなってしまっている。竹田理事長の声に答えて、来年には50年前のように瀬戸内海が見渡せるようにできないか、「なんとか国立公園の制約をかいくぐってでも、努力してみよう。それが、美代子さんの純情と命を掛けた強い責任感に感動した男の、ささやかなお供えだよな」と、金谷区長と語り合ったのだった。
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