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2019年 05月 14日 火曜日

私も、遺族の一人でもある。私の叔父はかつて、住吉地区の遺族会の会長をしていた事も… あったと思う。それを思い出したりしたのが、住吉学園の主催で、住吉から出生された方々で戦没された4,000名以上の人々(これは志那事変と大東亜戦争を通じての数のようだ)の霊を慰めると共に遺族の方々への励ましとお慰めをと催される、慰霊祭だ。

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住吉赤塚山忠魂碑前で5月12日(日)午前10時から行われた慰霊性では、まず、住吉学園の廣岡俊司専務理事が開催挨拶。次いで、竹田 統理事長が挨拶に立たれ、戦後76年戦争が無い幸せと世界平和を訴え、尊い犠牲者のおかげだと強調され、災害でなくなった人々への思いも合わせて訴えられた。

住吉町遺族会の会長は、戦争の経験の無い人々が多くなる一方で、戦争経験のない日本の指導者が増えている事への不安を訴えられた。今の指導者に任せていいものだろうか、とも言われ、災害で亡くなった人々の遺族も同じ思いだと訴えられた。この方の持論、私は頭では良く理解できるものの、今年もどこか、私感との違和感を感じた。

その後、金谷勇一東灘区長が、戦争の無い社会をつくる事が我々の責任と語った。まったくその通りで、私も強力な反戦論の持ち主である。戦争経験はないが、戦後の悲惨な日本国民の姿は、自らの経験し、記憶に焼き付いてている。進駐軍キャンプのある新開地で育ったので、戦争の爪痕も敗戦国の惨めさも身に染みているのだ。

体験と、頭での理解の間には、確かに大きな違いがある。けれども…と、いろいろな事をまた考えさせられた、赤塚山での忠魂碑前での慰霊祭だった。昨年は、大雨の中だった。テントの屋根に溜まった雨水を傘でつっついて落としたが、今年は立派なテントが張られて、遺族の方々を守っていた。今、住吉に住む人々は、本当に幸せだとも思ったのだった。
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