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2019年 04月 30日

私が、その為に私の微力を捧げようと、そう決意しているのは… コミュニティの礎たる、地域の会館の一つ。新たに落成した渦森会館のこれからだ。

渦森台は、昭和36年から昭和45年までの9年間をかけて、神戸市によって造成された住宅地だ。その造成ともなって会館が作られたが、老朽化し、耐震強度も不足していた。そこで、新館建設の為の渦森会館検討部会が二丁目連合自治会内に2016年に発足し、11回のワークショップやいろいろな研究を重ねて、今日、平成31年4月27日土曜日、13時からの「新渦森会館竣工記念式典」に至ったのだ。

その道程は実に見事な進行で、わずか3年で実現した。私に相談があったのは、二年半前。内部がまとまらず政争の場になりそうなので、行ってワークショップで座っていて欲しいと世話をなさっていた北田さんが仰るので、オブザーバーとして勉強に行った。二分ほど、オブザーバーとしての意見は述べたが、それ以外は見守っていただけだった。

そんなワークショップが重なるうちに、北田さんが事務所に何回か来られては、地元管理の不安を訴えられた。私が十分自信を持ってやって行けるようサポートしたところ喜ばれ、「私は創価学会員だけど、安井さんに投票する」と言って、新しい奥様やご友人を連れて私の事務所に来られ、楽しい一時を過された。

だが、彼はガンに冒されていた。いつ他界してもおかしくない ─ そんな状況で、病院の入退院を繰り返していた。私は、彼がこの会館に命を掛けているのを知っていた。彼は、私が言うように「渦森団地は、不動産価値が下がっている。それをくい止めるのは、人々の絆であり、地域力なのだ。今は、人材がたくさんある。今、新会館を使って、コミュニティの活性化を計るのが重要なんだ」といった事を信じてくださり、頑張って、色々な事を考え、夢を語られた。私は、市に「彼のためにも仕事を急いで下さい」と何回もお願いした。だが、彼は逝ってしまった。

彼の遺志を継いだのは、佐賀 勉さん。彼も立派で、大変な情熱で人々を集め、説得し、会館の運営委員会の委員長として、人々のために仕事をして下さった。そして、友人だった北田さんの病床にも通って、全てに渡ってお世話されていた。

ある日、北田さんは私に電話をかけてきた。彼は、「佐賀さんのお陰で、安心して死ねます。先生、ありがとう」と言って、その電話を切った。その四日後、彼は私に投票する約束も、会館ができるまで生きる約束も果たさず、逝ってしまわれたのだった。

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これから、会館が平成31年3月1日現在1475世帯・人口3124人の、この団地のコミュニティの礎となって、住民の絆が結ばれ、ここに来れば誰か仲間がいて、安心できる楽しい場…そんな、前向きに人々を支える施設として活用されるように願っている。私はスピーチで、公平で、一党一派に偏ることなく、皆で会館の運営を担っていって欲しいとお願いした。約束を果たせなかった北田さんのためにも、佐賀さんなら、必ずやって下さると信じている。

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