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2019年 04月 09日 火曜日

それは、これから議会が当局に軽視されないように、また、逆に議会が暴走しないよう、議会の… 重しとなる立場になったと自覚した日。言うまでもなく、当選の決まった日だ。

4月7日午後10時50分、自宅で待機していた私に、電話がかかってきた。足立ボランティアから、「当選確実になったから、事務所に来るように」とのことだった。正直、12回の待機ほど、辛い時間はないだろう。自信があっても、不安なものだ。あれこれと、色々な事が思い出され、浮かんでくる。落選していても、平然としていなければ … あるいは、当選しても有頂天にはならず、本心からの感謝と謙虚さを忘れずにいなければ…等など、何度も自分に言い聞かせていたのだった。だから、12回目の嬉しい電話というよりは、有り難い電話だった。

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拍手で迎えられた
事務所へ行く道中で車を止めて、もう一度、「本当に当確か」と足立ボランティアに確認したのは、夢じゃないかと頬をつねるようなものだろう。到着すると、支援の方々に拍手で迎えて頂いた。髙嶋良平後援会長と、ガッチリ握手。私は、神戸一の後援会長だと思っており、感謝している。

新聞社が二社も来られていたのには、驚いた。聞くと、私が最高齢者で最高期数だという。4人の市長と一緒で、しかも昭和・平成・令和の三代にわたる地方議員は私だけなので、おいで下さったようだ。こんな高齢者が、投票率が前回より低い中で得票を500票も伸ばし、10人中5位に入ったのは、本当に皆様のお陰だった。
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当選の弁を語る
年齢からも「重鎮」ではあるのだろうが、それこそ議会の重しとなった意味だと捉え、心して令和の時代へ歩み出さねばならないと、感謝とともに自覚を新たにし、そうした意味で、「死ぬまでやるぞ」と決意したのだった。
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支援くださった方々と、万歳で記念写真
産経新聞記事
12選を報じた産経新聞8日朝刊