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2019年 01月 17日 木曜日

ボランティアをネタに売り込む人や、目立ちたがり屋の人もいる。だが… そんな人ばかりではない、それを知っているのは、とあるボランティアのカタを存じ上げているからだ。

今年も、1月17日午前5時46分が巡ってきた。24年間、私はこの時を決して忘れないし、忘れられない。当日、にわか救援隊をつくり、何人も救出し、そして、何人が私の手に抱かれて亡くなっていったか…。

現場からの報告は誰にも負けないと思うが、そんな事を語る気にもなれない程、悲惨だった。今はただ静かに、この日を受け入れている。

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そんな私は例年、東灘区住吉、住之江地区の慰霊祭に静かに参加していて、もう永年になる。この地では、42人が犠牲になられた。この地の区長が岩本 徹さんになってから、本格的に地元の専念寺さんにお願いし、区の役員と青年会を鼓舞し、大型テントを張る。朝5時46分と10時からの2部制として、10時からの二回目には幼稚園児らにも参加してもらうなど、震災を風化させないように、と思いをもって、続けておられる。

私は、彼の「意気」に感じて参加している。今朝も、約30人のご遺族が来られていた。42名の犠牲者の名が佐々木住職から次々と告げられると、遺族の方々が、そっと目頭を押さえる。その中のお一人、本田正美さんは85才。彼は、区長に広い住之江公園の管理を任され、わずかな仲間と掃除をし、子供たちのために石を拾うなど、安全のためのボランティアを続けておられる。

でも、もう続かないと私に訴えられる。私が、どれほど本田さんに感謝しているだろうか。まだまだ元気そうだからと励ますが、彼の心にあるのは震災の犠牲者で、「これもあるからなぁ」と、慰霊碑に指をさす。彼は、犠牲者の無念さを背負ってボランティアを続けて下さっているのだ。

私は、涙が出た。こんないい方が、おられるのだ。きっと、他にも、それぞれの場所で、それぞれの思いを抱いて…

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