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2018年 12月 21日 金曜日

「この地から国際人を育てて行きたい」と抱負を語ったのは… 菊正宗酒造株式会社本社東横で昨20日に執り行われた、嘉納治五郎翁生誕地石碑完成記念除幕式でのこと。

記念碑写真
御影地区まちづくり協議会が主催で、菊正宗酒造株式会社が協催された。立派な記念碑だ。

この日のために、東京から講道館の上村館長や筑波大学の真田教授、灘高等学校の和田校長をはじめ、今回地元御影と嘉納治五郎翁との関係をお書き下さった姫路獨協大学副学長の道谷卓教授に、東灘区の棱野区長等、約30人が招待を受け、集われた。

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高嶋良平会長から今までの経過が報告され、上記の人々に私も加わって、除幕。続いて、鏡割りに先立ち、菊正宗酒造株式会社会長の嘉納毅人会長から、嘉納師範がカイロで頑張って幻の東京オリンピックの招致に成功した事などが語られた。
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嘉納毅人会長は、述べられた口上の中で、
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「この目出度き御儀式と本日の除幕式に際し、治五郎師範の生家の銘酒、鷹の羽でとり行う事は、師範にあやかり、御影が大いに発展することと存じます。御影地区まちづくり協議会会長高嶋良平様によりまして、首尾よく鏡が開きましたら〜」
と仰り、高嶋良平氏が一人で、ノミと小槌を使い四分ほどかけて開封。全員で記念写真に収まった。
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本社二階会議室での祝宴では、私が乾杯の音頭を仰せつかった。乾杯に先だっての挨拶で、私は、
「本日の日を楽しみにしていました。地元東灘区役所、講道館等が一体となって、この日を迎える事が出来ました。講道館の学芸員の本橋端奈子さんが、私に嘉納治五郎師範に「学ぶ」という本を送って下さいました。その本を読んで感動いたしました」
「昭和13年3月10日、カイロでIOC総会が開かれ、10日間、師範は針のむしろの如き目ににあいながらも、頑張って東京に決定せしめられました。師範のいぶし銀のようなお人柄と、スポーツと政治は別だという一貫した主張が勝利したのです」「地元の道谷教授は、『世界に通用する日本人は少ないが、師範だけは、クーベルタン男爵をはじめとして、全世界から信頼された唯一の人物だ』と仰る。しかし、日本政府はその決定の後、昭和13年7月、師範が亡くなって二カ月後に東京オリンピックを返上してしまい、戦争へと走り出した。その間、嘉納治五郎師範は御影幼稚園や灘高等学校の創立に深く関与される等、御影をこよなく御影を愛して下さっておられた」
と嘉納治五郎翁を偲び、
「私たちの町、御影は、師範を誇りにして行きたいと思います」
と結んだのだった。

この、御影の地から国際人を ── そうしてこそ、この石碑が輝くというものだろうから。