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2018年 10月 23日 火曜日

いつか必ず、人類のための神戸市になっていて欲しいと、心から願ったのは、 私にとって感慨深い日となった、本庶佑先生ノーベル生理学・医学賞受賞記念神戸国際創薬シンポジウムとそのレセプションが催された、10月19日の金曜日。

23年前の阪神淡路大震災の後、神戸の主力産業である川崎重工業や三菱重工業、神戸製鋼等が、その工場を他所へ移転し始めた。そんな時、ある大商社から、今こそ神戸百年の大計と153万人口を維持するための新しい産業として、「医療」を「産業」にする知恵を頂いた。早速、当時、仲良くしていた4人の市会議員とともに当時の笹山市長に働きかけ、アメリカのGEメディカルを神戸市のポートアイランドに誘致すべく、市長は幾度となく渡米。私もその一人に加わって、多くを学んだ。

その後、医師会との問題や、小保方さんのSTAP細胞事件と笹井氏の自殺に、生体肝移植の問題など、本当に多くの事があった。しかし、それをも乗り越え、10月19日に20周年を迎えられた。これは、市当局者の大変な苦労と、1998年当時からの、京都大学名誉教授で元総長でおられる井村裕夫医学博士の、基礎づくりのお陰だと思う。

医療産業都市は今や、先端医療研究センターや医療イノベーション推進センター、クラスター推進センターに細胞療法研究開発センターと、4つの施設を持って前進している。そして、今回のシンポジウムとそのレセプションだ。そこでトップに立って牽引して下さる理事長の本庶 佑医学博士がノーベル医学生理学賞に選ばれた、そのお祝いを兼ねるという、二重の喜びの日でもあった。

講演では、神戸の医療産業都市が日本の、世界への発信基地となり、人類に貢献する都市を目指すとあった。私は、いい方がリーダーになって下さったと思った。外郭団体に関する特別委員会でも、本庶先生に各市会議員がノーベル賞獲得の期待を述べていたが、ついに神戸から出たと、神戸市議会も喜んでいる。会場では、改めて名刺交換をして、市長を交えて記念撮影に収まった。本当に凛とした品格のある方で、何かとても良い物に出くわした喜びを上回る、感慨を抱いた。

しかし、神戸の医療産業都市が「一将功成りて万骨枯る」であってはならない。これからの発展を祈り、そのために尽力して行きたい。
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