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2018年 10月 05日 金曜日

終えての就寝が、大禍なく過ぎたことにも感謝しつつで、日の変わる午前0時だったのは… 東灘区民が大変な損害と恐怖を味わった9月7日の台風21号と同じコースで台風24号が来た、9月30日。予報や報道をうけて、区役所も大変だった。

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私も防災服に着替えて、避難所を激励して廻った。30日午後7時に家を出て、7時15分には東灘小学校。続いて、7時半に本庄小学校、7時45分には高橋川の深江橋角落とし場所を見て回った。台風21号で依頼業者が遅れた深江橋では、今回はちゃんと橋に角落としして、赤色灯を点した車で見守っていた。

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続いて、8時15分に魚崎小学校、同28分には福池小学校から、同43分住吉小学校、9時12分の本山第一小学校を経て、本山第二小学校に着いたのが9時33分だった。ここでは、台風で10月2日に延期になった秋の運動会のために、子供たちが大きなてるてる坊主をつくっていた。私も、心から晴天を祈った。次いで9時45分に本山中学校へ行ったが、ここに避難されていた方はおられなかった。

10時に本山第三小学校、そして、御影公会堂へ。ここも、避難された方はおられなかったが、和田さんと桜井さんが頑張っていて下さった。続いて、御影小学校へ。最後の御影北小学校に到着した時には、11:00になっていた。4時間で12カ所の避難所と、東灘区のアキレス腱である高橋川と住吉川を、駆け足ながら見て回ったのだった。

帰路にはもう、山手幹線の上に、満月が顔を出していた。

幸い、台風は少し南に逸れてくれて、大きな被害はなかったようだったが、今回の台風にも、多くを学んだ。

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  1. 災害になると、教職員の方にご苦労をおかけする。職員の方々で大型テレビを用意して下さった避難所が、4ヶ所。マットを用意されていたのが、5カ所。パーティションでプライバシーに配慮したのが7カ所と、学校は大変だった。避難してこられる方々が入りやすいように、入口を開放していた学校は、5カ所。インターホンでの対応が、7カ所。すぐに対応して下さるのだが、いずれも若い男性職員の方が1〜3人で、当直されていた。本庄小と御影北小では、校長自ら当直されていた。本当に、ありがたいことだ。

  2. 区役所の職員の皆さんも、大変なご苦労だった。各避難所に1〜2人配置され、対応して下さっていた。中には、女性職員2人で頑張って下さっていたところもあり、頭が下がる思いだった。

  3. 見回って思ったのだが、避難所を教員と職員で運営をしているのは、どうなのだろうか。阪神淡路大震災時には、職員が一時的にやったので、そのようになっているのかも知れないが、職員のやるべき事は、他に沢山ある。
    例えば、避難された方が5〜6人なのに、職員と教員4〜5人が張り付いていた所もあった。確かに、30〜40人が避難してこられる時もあるだろうが、そうした運営を、自治会やボランティア、NPO等できないものだろうか。


最後だが、久元市長はじめ、区役所も教職員も、本当に素晴らしい公僕でおられると感じた。分かっていらっしゃると思うけれど、もう一度、分かって差し上げて頂きたい。そして、抗じきれない天災ではあるが、できる備えは怠らないようにしたいものである。
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