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2018年 09月 11日 火曜日

台風21号が人々の生活を乱し、市民に恐怖を与えた9月4日。走らせた車で、多くの医院の前を通ったが、閉まっていた。鉄道は止まり、スーパーマーケットもコンビニも… 百貨店も、閉店。暴風と高潮で、神戸市じゅうが大変なことになっていた。

そんな中、私の耳の薬が一日しか持たなかった。お世話になっている御影郡家の耳鼻咽喉科、岡野安雅先生にメールで「開院してますか?」と尋ねると、開院しているとの返信。諦めていただけに、「皆さんのために、ありがとう」と返信した。

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そうは言っても、午前中から午後にかけては越多忙で行けず。やっと午後5時になって行きつくと、きっちりと開院しておられた。患者さんは私の前に御一人で、私と二人。あんな時なのに、看護師さんも受付の方も6人揃っておられ、親切だった。

いつも一杯で座れず立っている程なのに、そんな暇な待合室は初めて。それが分かっていても開院している先生に、感銘を受けた。「もし、嵐の中を来て下さったら申し訳ない。出来るだけ、患者のための医者でありたいから」と、先生。確かに、23年前の大震災の時も、先生は徹夜で頑張られた。薬の不足に難儀もされたが、今でも、その根性は少しも変わってはいなかった。

たった二人しかいない患者の、二人目の私の診療を終えて、二人で待合室で語り合った。「先生とも長いなぁー。もう40年以上ですね。先生がこんな入り込んだ所で開院されたのに心配しましたが、きっと自信があったのですね」と聞くと、ニコリとされた。

東京の名門出身でおられるのに、なぜ神戸市東灘区御影に来られのか … それは、アメリカ留学の後だった。この方は、そんな事を意に介さず、庶民的で神社仏閣を愛し、だんじりが好きで写真が好きで、そして何より、日本酒がお好きなのだ。

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地域と共に生きておられる先生は、私の知る限り、東灘区でお三方だけだ。皆、先生の人柄について行っておられ、繁盛されてもいる。加えて、看護師さんも良い。協力店の調剤薬局ジャパンファーマシー御影店も全員出勤され、岡野安雅先生の意気に同調されている。私は、思わずお礼を申し上げた。

感動を誰かに伝えたくて携帯電話を探っていたその時、一台の車が来て、不安そうに医院を見ておられた。私はつい、「開いていますよ」と言ってしまった。「良かった」と言って、御婦人が入って行かれた。

岡野先生との色々な思い出が脳裏をかけめぐったが、お世話になった事ばかりだった。特に「神戸灘の酒による乾杯を推進する条例」をつくるに当たっては、メーカーより先生が頑張って下さった。頼まれもしないのに、好きな日本酒と地元の為に…

こんな方も、めっきり減ったように思う。9月5日は、先生の76才の誕生日。進歩の早い医療の世界にあって、日々の研鑽も大変だろうが、まだまだお元気で、腕も、そして医師としての信念も、いささかも衰えてはおられない。先生の生き様に感動を覚えた、そんな台風21号の日だった。