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2018年 02月 19日 月曜日

金が確定したその時、「電話を、ありがとうございました」のメールが入った。メールは… 日本で羽生選手の活躍を最も祈っていただろう男の一人、弓弦羽神社の澤田政泰宮司からだった。

小林さんに田邊さん、志水さんと、友人四人で旧交を温めながら、事務所の近所の喫茶店でくつろいでいたのだが、マスターの、「あと2人で羽生です」の一言で、店はスポーツ喫茶に早変わり。居た人皆が、羽生選手の応援団になった。見事な羽生選手の演技が終わると、皆、褒めたたえて拍手をしていたが、私はふと、弓弦羽神社の澤田宮司の様子を知りたくなって、電話をかけた。

すぐに出た彼に「今どうしてる?」と聞くと、「怖いので、一人で境内をうろついています」と言われ「どうでしたか?」と逆に聞かれてしまった。

その様子に、私は感動した。本当に、怖かったのだろう。実は、私もテレビをまともに観られなかった。怪我のこともあり、もしひっくり返ったら…などと思うと、観ているのが辛かったのだ。それはまるで、国運がかかっているような気分だった。

周りでは、羽生効果で神社がよく儲かっているなどと、やっかみ半分の声があったり、友人の付き合いでスナックに行けば「飲み歩いている」といったような、彼についての心ない声を聞く。だが、私は彼を良く知っている。私にも相談があったから知っているのだが、ロマンティストでカッコ良い彼は、少なからぬ額をそっと、仙台の被災地に寄付してもいるなど、本当に立派な、神戸大学の海事科学研究科を出た船乗り、海の男なのだ。

社は、1300年も続く由緒正しい神社だ。昔から戦いに強い神社だと言われ、スポーツ関係者や受験生が良く来る。実は、このブームのきっかけは、私の事務所の足立ボランティアなのだ。某新聞の記者が私の事務所に来て、「何かおもしろい事はないか」と尋ねられて、羽生選手が御影の弓弦羽神社に来られていると話したのは、確か4年半前だ。

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その記者はスポーツ面にその事を書き、その記事がブームのきっかけとなった。今や、絵馬の七割は羽生選手の活躍を祈るものだそうで、弓弦羽神社は羽生ファンのメッカとすら呼ばれている。私は、そんな事を思い出しながら18日の朝9時半頃、弓弦羽神社に行ってみた。足立も羽生選手に感動して、神社にお礼に行きたいと言うし、私も行きたかったのだ。

神社では結婚式が執り行われており、宮司とは会えなかったが、人々が絶えず来られていた。中には、高知や宮城といった他県ナンバーの車もあった。私も、新聞を開いて写真を撮った。

金が決まるまで、日本中が羽生結弦選手の成功を祈っていた。その祈りは、神がかりとも思える完璧な演技となって、実ったのだった。

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