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2017年 12月 12日 火曜日

いずれにしても、御影の新しいページが開き、御影の素晴らしさが分かった、良い催しだったのは… 12月10日に催された、第1回御影音楽祭だ。足立ボランティアと私の兄夫婦、4人で御影公会堂へ出かけていったのが、午前10時。

御影公会堂のこけら落としという位置づけのこの音楽祭は、見事な御影中学校のブラスバンドから始まって、地元の御影幼稚園と御影小学校の仲間、そして、御影北小学校P.T.A.が続いた。保護者の皆様や親戚の方々もが集まっておられ、幼稚園や小中学校の校長が見守る中、子供たちが張り切っているのが分かる。だが、ここまでは、各校の音楽会を集めただけに過ぎないのかも知れない。
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そうじゃないと実感したのが、午後の部。町の人々が次々登場し、イキイキと得意げに、音楽を奏でられたのだ。「あれ、あの人…ほら、酒屋さん」「あの人、八百屋さんじゃない」「あの方は、市の職員さん」… なんと、夜の8時までその熱気が続いたのだ。私は当日、4カ所の餅つきに少年野球1カ所、忘年会1カ所、福祉大会1カ所を訪ねる予定があり、御影公会堂には、その間を縫っての行ったり来たりだった。

何故大成功したのか、考えてみた。どうして御影が一帯となって、青春に戻れたのだろう。それは、実行委員長をした馬場喜美世さんや、副委員長の土井きよしさんと、それを支えた多くのスタッフの見事な連携プレーだった。

聞くところによると、何回も何回も検討しては役割分担を決め、当日は皆が、その役割を淡々と、見事に果たしていたそうだ。御影連合会の保元会長が受付案内をしておられ、「今日は、裏方です」とニヤリ。各自治会長は昔に返って「いろいろあったなぁ!」と、音楽に人生を重ねておられた。上手下手ではなく、仲間がやっている親近感と安堵感が、人々を別世界に運んでいたのだ。

とっかかりは実行委員長の馬場喜美世さんと副委員長の土井きよしさんが、別々のバンドだけど、仲間たちや昔やっておられた方々を集めて楽しもうということだったそうだ。相談にのった御影自治会連絡協議会の鍵田会長や、御影まちづくり協議会の高嶋会長も大賛成して、共催をすることになり、大きく盛り上がった。

私がその会議で言ったのは、既存の勢力から外れてやって欲しいということ。加えて、だんじりとは別の、御影の人々の掘り起こしになると強調した。実は35年前、東明の小橋自治会長が同じことをやったが、東明での1回だけで消滅したのだ。つまり、今回は御影のインキュベーター的な面がしっかりしていたのかも知れない。いい思いつきを育てる気運を、御影は備えたと言えるだろう。

更に、この音楽祭には、仕切っているふりをするようないつもの目立ちたがり屋がいなかった。それで、上品に思えた。陰で応援した鍵田さんは、公会堂の事務所にこもって成功を祈っておられ、高嶋さんは、御影公会堂の二階の隅で、ひっそりと見守っておられたのなど、実に大人の配慮だった。実行委員長の馬場喜美世さんへの人々の人望は厚く、さりとて目立たず、結果、皆で成功させされた。

実に、楽しかった。音楽会なのに牛スジ煮込みの臭いがしたり、同じ曲が重なったりもしたが、それがまた、手作り音楽会の味かもしれない。

強いて付け足すなら、御影幼稚園が全国一になったのは大変なことなのだから、御影の誇りとして、別の方法でも御影の人々に知らせるべきだった。

兄夫婦も、「良かった、よかった」と言ってくれた。夕食を共にしたしっかり者の足立ボランティアは、見ている所は見ていて、馬場喜美世さんを褒め上げ、谷口元区長も来られていたし、御影小学校長も最後までおられたと、報告してくれた。なんと、来場者数は約2000名だったとそうだ。とにかく、行って良かった! 大々々成功である。実に気持ち良く、上品で、楽しい音楽祭だった。
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