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2017年 05月 23日 火曜日

何回も見たその現場では、私が提言した6年前から、石ころ一つ動いていなかった。モロゾフ製菓さんから送られた桜の木だけが… 孤軍奮闘を絵に描いたように頑張って、完成を、今か今かと待ちわびながら、踏ん張っていた ─ というのは、イタリア、テルニ市での話。

去る5月9日から18日まで、私はイタリアを旅していた。前回、イタリアの首都ローマから北へ40キロほど離れたテルニ市を訪ねたのは、私が議長の頃だから、6年前のこと。テルニ市と神戸市はバレンタイン都市として結ばれており、両市間で2006年に観光交流協定を締結。両市から世界に向けて、愛を発信することになっている。

その愛は、単に恋人同士だけでなく、親子や家族、仲間…ひいては、人類すべての愛を感じ育てる都市にすると、そう決意した都市なのだ。

テルニ市の中央には、第二次世界大戦犠牲になった382人の市民の名が刻まれ、その名板に「私達はすべての戦争に反対します」と、宣言が刻まれていた。私は、神戸市も…難しいなら御影だけでも、すべての戦争に反対する宣言をしてはどうかと思った。出来ればと思った。

今回の旅には、二つの目的があった。一つは、神戸御影日本庭園と神社の建設を促進させること。二つ目は、御影がつくったバレンタイン広場に付加価値をつけることだった。

御影の方々に声をかけると、御影自治会事務連絡協議会の鎌田武志会長と、弓場自治会の谷口治男会長。さらに、6年前、御影のバレンタイン広場オープニングに来て下さったテルニ市のジローラモ市長をだんじりに乗せて下さった、総括の浜田智司さんら全員で14人の民間使節団が結成できた。

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この使節団で、久元喜造市長のメッセージを持ってテルニ市に入ったのが、5月14日。

まず、バレンタイン協会の牧師さんの温かい歓迎を受け、教会の隅々までご案内いただいた。バレンタイン聖人の棺の前では、牧師より、「今後、御影のバレンタイン広場で行われる結婚式には、バレンタイン教会から愛のメッセージの証書を送り、愛のお祈りをしますので、御氏名を知らせて下さい」と仰って下さった。

これはあらかじめ、民間使節団の意向を伝え、交渉をして下さった神戸市国際部の山村部長の陰の苦労あってのことだったし、現地テルニ市の神戸好き、オメロさんのお蔭でもあった。
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翌15日、テルニ市役所に行って、びっくり。なんと、とある事情から、だんじりに乗ったジローラモ市長は役職停止処分となり、行政格が副市長に移っていたことだった。このことはずっと前に分かっていたのに、オメロさんと私や山村部長さんとの間でやりとりしたメールの中でも、知らされていなかった。

副市長とお会いした時、私達はその美貌に、ミス・テルニ市が迎えてくれたと喜んだ。副市長に谷口治男団長より神戸市長のメッセージが渡され、皆様を心から歓迎しますとのメッセージが発表された。

そのうち、Mascio Michelon議長と私のやりとりとなった。私はやんわりと、神戸御影日本庭園の建設をお願いした。これもあらかじめ通知していたので、議長から3年を目途に建設に着手したいとの発言があり、私は、「神戸市長に今の言葉を届けるが、良いか」と確認をとった。

当日の晩餐会にご列席下さった議長とオメロさんからは、その庭園に本格的な神社と鳥居を造りたいので、助言が欲しいと乞われた。幸い、鍵田会長は一級設計士でおられるのに加えて、地元、弓弦羽神社の総代役員をされているので、今後オメロさんと神戸市の国際部を通じて連絡を取りあうこととなった。

オメロさんは日本の神道を研究されているなど、なかなかの方。だから、今後を楽しみにして良いのだと、私たちには思えた。

いずれ、市長選挙が行われるのだろう。そこでまた体制が変わるのかどうかなど知る由もないが、神戸の誇るモロゾフ製菓が贈った桜も然りで、愛を主題として歩んできた、両市を結ぶこれまでの苦労を諦めてはなるまい。今や踏ん張りどころの象徴のようなあの桜が、もっと大きく伸び、満開となり、イタリア初の神戸日本庭園が誕生するまで頑張ろうと、使節団の皆で語りあったのだった。
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