Skip to main content.

2016年 12月 23日 金曜日

東灘区を流れる住吉川の西堤防の上で、2号線より南。新反高橋から30m程の所に、小さなお宅がある。実は… 私には、この建物に多くの思い出がある。

あれは、宮崎市長時代のこと。六甲アイランドと住吉を結ぶモノレールをどこに通すかで議論になり、市長は「住吉川の東側に沿って」と決定した。だが、それに対して地元は、大反対にまわった。その中心になったのが、大学のA先生だった。私は、この方と何回も議論をした。

真っ先にぶつかる問題は、景観・覗き見・騒音・防災等についてだった。覗き見対策で、六甲ライナーは家の中が見えないよう曇りガラスになったのだが、そうした一連の問題の一つが、歴史的建造物である谷崎潤一郎邸倚松庵(いしょうあん)だ。実は当時、現在の六甲ライナー魚崎駅のところにあったのだ。

結局、現在地に移して解決を見たのだが、A先生はその後、神戸空港建設反対の中心となられ、また私との論争が続いた。意見は違っても良い方だったが、今はどうしておられるだろうと思い出したのが、一枚の文章。

それは、住宅都市局局長の岩橋哲哉氏から届いた、東灘区選出議員各位へのお知らせ。倚松庵の再開館についてしたためられたものだ。

写真
それには、「倚松庵は昭和4年に建築され、平成2年に現在の場所に移築されました。その後、移築から25年が経過し、施設の老朽化が進んでいたため、今後も安全・快適に施設を利用していただけるよう、平成28年3月から施設を一時休館し、改修工事を実施しておりました。このたび、改修工事が完了し、12月24日(土曜)より施設の開館を再開できることとなりましたので、お知らせいたします」とあった。

倚松庵については、文豪・谷崎潤一郎が昭和11年から昭和18年まで居住し、松子夫人やその妹たちをモデルとした小説「細雪」の舞台となった建物。庵内には著書や参考文献等を集めた「谷崎文庫」を併設し、「文学の(いおり)」として、市民や観光客など、多くの方々に谷崎文学の世界に親しんでいただこうと開館していると説明されていて、所在地・構造・開館日・開館時間・入館料(無料)といった情報が添えられていた。

聞けば、開館以来約20万4千人の方々が来館されたそうだ。

住宅都市局市街地整備部が倚松庵を守って下さったのは、本当にありがたいことだ。私は、一度、東灘区議員団でお礼の会でも開き、区民を代表してお礼を申し上げたいと思っている。