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2016年 11月 01日 火曜日

わずか50分の与えられた時間で、私が、自分の人生の大半を捧げた、議会という大切かつ愛する機関への深い思いから、市長と議会の関係や。宮崎市長の大失政の神戸空港の問題、また… 人生の中で忘れようのない大震災の問題を取り上げたのは、10月27日の、市長への一般質問。私のような古参になると、なかなか質問の機会がないので、念入りに良く勉強してのぞみ、議論した。

質問ではまず、
「神戸議会は宮崎市長以来、政策をつくったり、変更したり、発表するにあたって、議会と市長とが事前に相談して、市民に与える影響の激変緩和を図ってきた。また、各種の審議会や委員会には、議会人も入れて議論をしてきた。久元市長になって、その意識が希薄になってきた。久元市長にとっては普通かも知れないが、議員の中から、市長は分かっていないといった不満が聞こえるようになった。これではいけない。優秀な市長だけに、もったいない」

と、思っていたところを、ずばり申し上げた。

これに対し久元市長は、
「自分では気をつけていたのだが、そのように映っていたのは残念だ。私は、宮崎市長以来の議会の歴史を勉強して、歴史と伝統を大切にして行きたい」

と、率直に答弁してくれた。

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私は、ホッとした。もし違っていたら、具体的な例を挙げながら追っていかねばならなかった。私は、マスコミ受けする劇場型議会や首長のパフォーマンスは、政治を危うくすると思っている。たしかにその方が、選挙には強くなる。だが、本当に地に着いた、内容のある施策は生まれにくい。そういった意味では、神戸市会は政務調査費の件を除けば、政策立案では相当優秀なのである。

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例えば、議員は日頃から勉強し、調査してもいる。だから、議員立法の条例がたくさん出ていて、議会が成長していると分かる。

久元市長は、
「私の任期中に、便数や運用時間など、空港問題の前進を図り、近郊の外国の都市にも飛ばせるような空港に向けて、努力する」

と発言していた。市長はさらっと発言したが、水面下では凄まじい苦労をしている。みなと総局は、今や宮崎市長の失政を取り返すべく、命を懸けてやっている。これは、36年ぶりのリベンジでもあるのだ。

議会が終わった後、自民党のある有力議員が、「先生、市長はえらく真剣に答えていましたね。分かってくれたんでしょうね」と言ってくれた。私は「市長は賢いからわかっているよ」と答えた。

私は市長に、劇場型首長のようだったり、パフォーマンスでマスコミ受けするような市長では決してなく、市民にとって、落ち着いて目立たないが意志が強く決断が早い、バランス感覚を持ったいぶし銀のような久元市長であって欲しい ─ ただただ、そう願っているのである。
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