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2016年 10月 24日 月曜日

私も、もう一歩の努力をしようと力が入ったのは、帰路の新幹線。ふと、久元市長が… 「よくやってくれた」と、喜んでくれる顔が、頭に浮かんだ。そんな、嬉しい実りのあった出張先は、講道館。10月20日朝から、東京の文京区春日にあるそこに、御影まちづくり協議会の髙嶋良平会長と、東灘区役所の副区長にまちづくり課長の4人で向かったのだ。

もちろん、来年4月9日に開会を控えている御影公会堂の地下につくる、嘉納治五郎記念室の準備のためだ。

世界の嘉納治五郎は、柔道だけでなく教育者として、また人類と社会の進歩に貢献した。平和主義者である彼は、幻の東京オリンピックを世界に訴え続けたが、日本の戦争気運に流されてしまった。しかし、彼の残した多くの功績は、今も世界中で広く知られている。そんな嘉納治五郎の生誕地である神戸市東灘区御影で、本格的に誕生の地として顕彰しようと、地元も区役所も力を入れて下さった。

前回は、筑波大学の真田教授から、嘉納治五郎氏にまつわる様々な資料を頂戴できた上に、今後も、記念室を監修して頂けるようになった。
今回の講道館訪問は、同様の資料の収集に加え、嘉納治五郎氏の銅像をつくる権利を頂く、或いはその許可をお願いするためだった。

講道館の東 行雄総務部部長は、とても親切にご対応下さった。まず、資料についてどんなものがあるかだが、図書資料部の桐生習作氏をご紹介下さり、2時間ほど、いろいろな資料を拝見した。我々にとっても、それは宝の山だった。
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副区長がふと、「嘉納治五郎先生の、生の声はないですか?」と尋ねた。桐生さんが「講演のものですが、ありますよ」と即答。早速、そのコピーの許可を総務部で頂く運びに。また、嘉納治五郎が柔道を指導している姿のDVDもあった。

さらに幸いなことには、10月26日〜29日に講道館で嘉納治五郎生誕祭が行われるのだが、その際に展示される予定のパネルの一部を拝見できたのだ。私はつい、「お願いです。生誕祭が終わったら、そのグッズすべて頂きたい」とお願いした。桐生さんは「学芸員の方が手造りで、徹夜して作ったもので、学芸員さんかどう言われるか分かりませんので…」と仰る。私は「神戸牛のお肉と甲南漬けをつけますので、是非講道館の資料室の分館と思って頂きたい」と、笑いをとった。
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取り敢えず、最終日の10月29日にもう一度講道館に行って、いろいろ頂けるものを見せていただけるよう、御約束を頂戴した。さらに、御影公会堂の開会式に講道館館長もご出席下さるよう、要請した。

帰りしなに、キャリーバッグを持った多くのフランス人旅行者が、講道館前の正面の嘉納治五郎の像の前で記念撮影をしているのを見た。私は、こうした集団が、生誕の地、御影にもどんどん来て下さるようにと、祈った。

帰りの新幹線の中では、高嶋会長が一合のカップ酒を随分と飲んでいた。彼は、重責を負っている。彼は、説明と説得で、笑いを込めながらも、ヘリ下り、地域のために全力を上げている。今回の成果に、満足しているのだろう。講道館も、「市が部屋まで用意して、嘉納治五郎を顕彰してくださる」と、喜んでいるようだった。