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2016年 10月 07日 金曜日

このブログには到底書ききれないので、皆さんには、これからの私の代表質問に少しだけ、ご注目いただきたいと願っているのだが、それは… 国政のバックアップシステムのことだ。

私は、考え事があると良く、議会棟の最上階、30階にある市会図書室に行って、考える。眺めも良いし、静かだし、親切にしてもいただけるからだが、そこには、神戸市会の歴史を記した大きな表が展示されており、大変興味深い。

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第1回の議会は、明治22年5月に開かれている。驚くべきことに、終戦の昭和20年8月にも、議会が開かれている。どんな様子だったのか … 何が議論されたのか。いずれの回も、歴史と照らし合わせて興味がつきない。

その日も、勉強したかったので、ずっと年表の前に立っていた。ところが、この表、何と平成元年で止まっていて、大きな事件であった阪神淡路大震災が記されていないのだ。場所や空間的余裕が無いといった理由はどうあれ、大切なことだと思っているのだが。

いつだったか、市会図書室に入って、故・貝原俊民 元兵庫県知事の最後の寄稿 ─ 遺言ともいうべき論文「大震災が確実に襲来する」も発見した。ありがちな、自分がこうしたああしたではなく、身を挺した大震災復興を通じて感じ学んだあれこれから、大切なことをこれからに向かって提言しておられる。

私は、この論文を何回もむさぼるように読んでは、学びを深めている。幸いにして、この度の決算市会の一般質問と、関西広域連合議会での代表質問の機会を頂いているので、久元市長や井戸連合長に、この貝原さんの遺言を絡めて質問をしてみることにした。

貝原さんは、次の首都直下型、または東南海トラフの地震が来たら、それは「国難」になる、と断言しておられる。首都直下型では、瞬間に112兆円の損失と11万人の死者が発生し、金融システムが破壊され、世界恐慌を引き起こす可能性がある。国家を守る防衛、外交などの問題からも、国民の生活の安定が図れるかどうか、と訴えられ、1日も早くバックアップシステムを構築しなければならないとして、その候補地に、兵庫県の宝塚の北を挙げておられる。

貝原氏は、次の大震災は2040年までに確実に来るとし、我々に残された時間はあまりない、と結んでいる。私も、同感である。氏の遺言とも言うべきこの論文を、私なりに活かして行こうと、そう心に決めている。
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