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2016年 06月 14日 火曜日

表題のこの言葉は、今、ある意味を持っている。それは、今の東京都知事に… 当てはめてみればわかるだろう。日々、生きる姿勢について芯を欠いてきた、そのなれの果て … 東京大学は、いったい何を教えていたのか。いや、きっと生徒が悪いのだろう。

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そんなことを考えたのは、平生釟三郎(ひらお はちさぶろう)生誕150周年記念シンポジウム。甲南大学の甲友会館で催された11日土曜日の同シンポジウムには、私も、卒業生として参加を許されて足を運んだ。

甲南学園の創立者、平生釟三郎は、川崎重工業を始め、川崎病院や甲南病院、灘生協等、様々な事業の立ち上げと促進に参画された。日本国にとって貴重な方でありながら、教育者として人々の尊敬も集められるなど、ご人格も大変高い方であった。

カンボジアやラオス、ミャンマーなどに行くと、将来の福沢諭吉や大隈重信といった存在になられるような方がおられ、近代日本の黎明期が想像できて、楽しいものだが、私は何回も平生釟三郎についての本を読み、当時は日本の人材が最も充実した時代だったのだと感じていただけに、シンポジウムにも大変興味があった。

実は、後になって語り継がれた美談よりも、もっと人間くさい部分を知りたかったのだが、その臭いは感じられなかった。それでも、武士として育たれた平生釟三郎がいかに高潔で理想に満ち、人格者であったかは、思い知らされた。

平生釟三郎の示した「正志く 強く 朗らかに」は、「たとえ逆境にあるときでも、正義感を持ち、強い意志で行動し、明るく愉快に過ごせば、毎日が楽しくうまくいくものである」という意味である。これを忘れず、少しでも教えに近い生き方を日々、実践したいと思っている。