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2016年 05月 10日 火曜日

それにしてもうまかったと思い出される、カレー……。5月1日、地車のパレードを前に、各町へご挨拶に廻ったのだが、「食事をしよう」とお声掛けをいただいていたのが長居をしてしまい、13時から17時30までいたのが… 弓場地区だ。

3日に迫った地車(だんじり)御影パレードと4日の宮入りのために、今まで練習してきた事を確かめ、最後の打ち合わせが行われる、大切な日。各町すべての人々が会館に集うので、足立ボランティアを従え、各地区で、「先ず、安全第一で。地域の文化伝承と、教育の場として」と、行事の大切さをお話して廻った。
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地区ごとの会館では、地元の小学生や中学生には、太鼓や鐘の叩き方を。高校生以上には、地車(だんじり)りの押し方・引き方・廻し方などを。地車(だんじり)の動きはすべて鐘の音を聞いて判断されるのだが、そこには世代を超えた伝承が実践されている光景があった。
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11ある小屋のうち8箇所を廻ったのだが、楽しかった。そこには、世に言う地車(だんじり)博士も集っておられる。ある方は、写真を撮って本を出すのだという。ある方は、彫刻を調べておられる。ある人は、その地車(だんじり)の過去を調べておられるなど、お話しを伺っていると、とても興味深い。

例えば、他の地車(だんじり)もそれぞれにすばらしいが、弓場の地車(だんじり)は特に良い。神戸一だと仰る。小松さんという方の作で、彫刻と鬼板が良く、その気品や風格は素晴らしいのだそうだ。私は何も知らないので、なるほどなるほどと頷くばかり。

「岸和田の地車は、どうなのですか」とお尋ねすると、「岸和田はやり廻しをするので、コマ(車輪)が土呂台(土台)の中に入っていますが、神戸は外についています。だから、岸和田よりもゆったりと上品に廻されます。これを、神戸型と呼びます」と答えてくださった。上御影(平野)地区の地車(だんじり)には、なんと140年の歴史があるそうだが、こんな事を書きだすと、キリがない。

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そこで、食事に入った。山ほどのごちそうが、会費1000円で並ぶ。この町の人々は本当に幸せだと感じた。特に私は、カレーがおいしいと感じた。私が食べたカレーの中でも、一番のうちだ。インド人もびっくりどころか、世界中がびっくりといいたいほどで、私はルーを何回も食べただけでなく、いやしくも、このルーをパックに詰め、頂いて帰った。

聞くと、総括の浜田さんが朝からつくったという。私が、これを商売にしてはとすすめた程だったが、彼は「ただ、心を込めて練っていただけです」と笑われた。横から73歳の方が、「材料の良いのを、大量に入れる。浜田さんは、食べ物にうるさいからね」と、ささやいてくださった。
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思えば、これは一つの村なのだ。村で子供を育て、村で人びとに役割ができ、やがて掟ができて、人々が親しく協力しあう ─ すばらしい、村。私は、教育委員会も市も、もっと注目して、地車(だんじり)を後援するべきだとつくづく思ったが、それも、あるいはきっと岸和田もそうなのだろうと思うし恐らく、メディアの扱い方のせいかも知れないが、岸和田のように観光化する方向でなく、あくまで教育と伝統文化の伝承、ひいては故郷づくりをめざさねばなるまい。

神戸の人々はきっと、しっかりとした地車(だんじり)道を歩んでゆくだろう。
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