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2016年 04月 01日 金曜日

「私は明石で生まれ、明石で嫁いで、明石焼と生きてきました。そもそもお好み焼きを食べて… 最後の仕上げで明石焼を食べていたのが初め。いわゆる、デザートでした。だから、出汁は冷たいのが正式。なのに、神戸の人は温かい出汁でお食べになる」と伺い、「なるほど」と思ったのは、久しぶりの明石焼)玉子焼)の食べ歩きでのこと。

本場、明石にはおよそ87店の明石焼の店舗がある。その内18店をやっとまわったところで、まだまだ。今回は、3軒のお店をはしごした。同志、梅田議員が検査入院されたというので、そのお見舞いついでだ。

ゴ<go>たこ珍、の三軒で、足立ボランティアと二人で、玉子焼100個にビール3本と、フルーツマッコリを1本。冒頭の話はゴさんで伺ったことで、大満足の食べ歩きだった。
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明石焼には百数十年の歴史があるそうだ。商売になったのは、大正八年頃。屋台を引いたのが始まりだという。ゴ<go>さんにはいろいろな種類があったが、我々はチーズ味とスジコン味、そしてタコ味をいただいた。

魚の棚を歩いていると、春らしく釘煮も売られていた。多くの観光客がいらしている中、楽しく、お腹が一杯になった一日だった。